知ろうとする勇気

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恐れや不安といった気持ちは“知らないこと”からくる。友達が言ってたこと。ほんとそうだなぁってすごく納得しました。

 

なぜかよく分からないけれど不安な時、「あぁ〜もやもやの理由はこれだったのか」って分かっただけで少し心が軽くなることがあります。
体調が悪くて、でもその正体が分からない時、お医者さんに「あなたの身体が不調なのはこういう原因だからですよ」って教えてもらえると安心すると思います。
考えてることが全然分からなくてちょっと恐いなぁって感じている相手も、ひとたび知り合ってみると、自分と同じただの人だったり。

お化けなんかも同じか。正体が分からないから恐い。
色々とたとえばを出してみたのですが、人は自分が知らないこと、分からないこと、異質なものに対して、恐れ、不安、気味の悪さといったものを感じるのだろうなぁと思います。 知らなくて、分からなくて恐いから、拒絶したり、嫌ったり、ののしったり、攻撃したり。
だったら、知らないことを少なくしていったら恐れや不安は減っていくかもしれません。

 

知らなかったことを知るに変える、分からなかったことを分かるに変える。そう言葉で言うのはとても簡単。でも知らない方が楽なこともあると思うし、知ろうとすることは時に痛みを伴うものだから、なかなか一歩が踏み出せません。知ろうとすることで、また新たな恐れや不安が生まれてしまったり。


知らないから恐れているのか、それとも知ろうとしていないから恐れているのか。どちらにせよ、きっと恐れ、不安は自分の手で作り出しているもの。だったらそれを拭うのも自分。

知らないことを知らないと言える素直さ、そして知らないことを自分の目と耳と足と手で触れて、知ろうとする勇気、強さを持った人でありたいと思うのです。

 

大好きな大好きな曲より

知らないという言葉の意味間違えていたんだ
知らない人のこといつの間にか嫌いと言っていたよ
何も知らずに知ろうともしなかった人のこと
どうして嫌いなんて言ったのだろう流されていたんだ
知らないことは恐いから醜い言葉ばかり吐き出してごまかして自分のことまで嫌わないで

 

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宙ぶらりん力

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“宙ぶらりん力”

もうずいぶん前に友達から聞いて時折思い出すことば。分からないことを分からないままにすること、白黒はっきりしていないことグレーのままにしておくこと、無理して分かろうとしたり、解決しようとしたりせずに放っておく力、のように友達は言っていたと思います。

 

宙ぶらりんの時、どっちつかずにゆらゆら揺れて不安定な状態、曖昧グレーなもやもやした状態。わたしはいい加減なとこはいい加減だけど、ひとつ気がかりなことがあると、なかなか上手く他のことに手がかけられなくなってしまう性格。宙ぶらりんは苦手。けれど、そんな考え方が人や自分を追い詰めてしまうこともあると気づいてから、宙ぶらりんでバランスをとる方法を探っていました。

 

宙ぶらりんな経験、みんなにあるのだと思います。その経験のひとつひとつを受け入れて、ぎゅっと抱きしめて生きていくということが、大人になるということなのかなぁとかとか最近考えています。もしそうならば、わたしはまだまだ宙ぶらりんは苦手で子どもだなぁと。

うーん今日はもういっか。笑 そんな宙ぶらりんのハザマでゆらゆらしながら、まとまりもないままで今日は終わりにします。笑

 

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秋のつめあわせ

気づけば9月ももう終わりの時期。長袖を引っぱり出してくる日もあったり、だんだんとさむい季節への移り変わりを感じます。

秋は過ごしやすくて好きな季節。でもギラギラ太陽の夏は無条件にはっぴーな気持ちにさせてくれて、そんな季節が去っていくのは、やっぱり寂しいですね。

でもねまた夏は来年を楽しみに、秋は秋で、味わい尽くそう◎

 

新しいカメラを持って、秋を探しに。

 

ちょっと毒々しくて怖くなるくらい。

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おこめ立派に育っています。稲の良いかおりが一面に広がって秋を感じます。

 

 

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黄金色の稲と青空のコントラストがきれい。

 

 

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地元名物の牡蠣小屋。この時期になると沢山のビニールハウスが漁港に並ぶ。地元民だけど実はまだ行ったことがない。今年こそは。

 

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コスモス畑行きたいなぁ。

 

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あれ、もういない、とすぐいってしまう秋。

去年はあっという間で紅葉狩りもできなかったから、今年は一日一日大切に秋を感じよう。

 

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足下にころがっている幸せ

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嵐の中にいる時、いつもどおりの日常がとてつもなく愛おしく感じられます。生きている、それだけでどんなに幸せなことかと。

でも、人間ってとっても罪な生きもので、いざ嵐が去ってしまうと、苦しかった時に感じていたことを簡単に忘れてしまいます(それはそれで人間の可愛いらしいところなのかもしれませんが。笑)青空があらわれると、晴れたー!ってすぐ嵐の時を忘れちゃう。

でも青空が見れるのも、苦しいなって感情を持てることも当たり前じゃないこと。

今足下にあるものが尊いということ。いつも心にとめて、今を大事にできる人でありたい。

 

●最近のわたしの幸せ

近所のわんこと仲良くなれた。

 

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夕焼け空がもうすっごく綺麗だった。全身で息をして、澄み切った空気が身体中に送り込まれているような感覚になった夕暮れ時だった。

 

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これ見てるだけで、いろんなことがスーッとクリアになっていきました。

 

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自分のものは自分で

 

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最近改めて思うこと。やっぱり原発ってやばいってこと。

 

東日本大震災が起きたのはわたしが高校生のとき。九州に住むわたしは大きな揺れを体感してもなければ、計画停電や大幅な電力削減対策の影響を全くと言って良いほど受けませんでした。

毎日テレビや新聞で見る震災の様子は、自分の住む国で確かに起きているはずなのに、どうしても現実のことのようには感じられなくて。どんどん大きく膨らむ課題も、はっきり輪郭が見えなくて。しきりに使われた“頑張ろうニッポン”の言葉も“じぶんごと”として捉えられなくて。そんな自分に長い間、罪悪感を覚えていました。きっと実際に自分の目で見なければだめだと思って、去年初めて訪ねた東北。

 

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自分の目で見て、やっと“じぶんごと”にできた気がしました。

それでもこの日本の転換期に、この“じぶんごと化”して感じたことを実際の自分の生活に落とし込んでいくのか。それが見えてこなくて。

原発がやばいのは分かってる。人体に影響を与えないレベルに下がるのに10万年かかるエネルギーを人類の歴史のほんの先、50-60年の延命治療のために使うって…いやもうそんなバカなです。10万年先なんて日本という国が存在するか分からないし、人類が生き残っているかさえ分からないのに…。

理系じゃないし、エネルギーに詳しい訳でもなんでもないけれど、とりあえず原発がやばいってことだけは分かるから、大きな声で原発にNOを言いたいです。さまざまな形でNOを発信することができるのだと思うけれど…原発がなくなったらわたし達の電気はどうなる?原発以外の電力で賄えるの?原発にNOと言うのであれば、そこは絶対的に考えておかなければいけないところ。節電も心掛けずに、自分の家の電力のことも考えずに、NOだけ発する無責任な態度はとりなくないなぁ。自分の姿勢、生活を以てしてNOと言いたいものです。(これはどんなことにも通じるけれど)

 

田舎でオフグリッド生活をしている人は割と見かけるけれど、そんな人たちからヒントをもらいながら、都会で自分が使う電気、エネルギーは自分でつくっていく、そんな生活に興味が湧いている今日この頃。色々調べてみようと思います◎ 

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大きな力に

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夕陽を眺めたり
そよ風を感じたり
太陽の光を浴びたり
荒々しく波打つ海を眺めたり


自然を目の前にした時、自分がとってもちっぽけな存在に感じられます。なんて無力な存在なんだろうって思います。でもその感覚は悔しさや寂しさからくるものではなくて、うーん、なにか大きな大きな温かなものに包まれた安心からくる感覚。


日々起こる出来事を「問題」として捉えて、解決しなきゃ、改善しなきゃ、変化しなきゃって身構えてしまうことがあります。けれどみんな大きな大きな自然の中では、ちっぽけなちっぽけな生き物で、そんな存在が物事をコントロールしようとしたり、抗おうとしたりすることはムチャなことなのかもしれない。「問題」だと思っていたことは実は問題なんかじゃなくて、大きな流れの中のほんの一部の取るに足らないものなのかもしれない。大きな大きな力に触れてそんな気分になります。
自然という大きな優しい流れの中にゆらゆら身を任せちゃえ。今日もこの夕陽を見た時、そんな風に思いました。
今日の夕陽もすっごーーーい綺麗でした◎

根っこはなんだろ

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何かを成しとげるために目標を立てて、それに向かって計画通りに進めなさい。そんな風に小さな頃からずっと教えられてきた気がします。

 

でもただひたすら先の目標ばかり見ていると、目標に縛られちゃって、これって本当にしたかったことだっけ?って。そんな時ってあるような。

頑張って頑張ってゴールに達成した時ってすごい快感だと思うんです。分かりやすく合否や数字が出るものだと尚更。とっても満たされます。でも常に目標を追っている人を見ると、急がなくてもいいんじゃないかなぁとおせっかいながら心配になります。まるで、次は何を達成して満たされようかなって目指すものを持ってないと不安になっちゃって、常に目標を探しちゃう感じ。

でもその快感、結果がとにかく欲しくて、先を急ぎすぎて、目の前の達成すべきことばかりに気を取られて、その根っこにある本当に大切にしたかったものを見失ってしまう。

 

目標を達成することが目標になってはしんどいんじゃないかなぁって。目標に向かってがむしゃらに頑張る時って、他に余計なことを何も考えなくていいから、楽な時もあると思うんです。でもそれって心からやりたいこと?本当に好きなこと?

目標はあくまでも、根っこにある大切にしたいことを大切にするためのツールだと私は捉えています。根っこの想いを実現するためには、どんな目標を持とう?どんなツールを選ぼう?だから目標はいつでも変わるものだし、ツールは選びなおすこともある。なんかこれって企業理念、ビジョン、戦略の話みたい。笑

 

人生設計って言葉を耳にするけれど、しっかり計画を立てたとしても、崩れ去ってしまう時はある。ならば、私はその時その時、今の自分をしっかり満たしてあげたい。やりたいこと、なりたい姿はあるけれど、あえてその目標をビシッと定めないことで、根っこにある本当に大切なものを育てながら、目の前のものを大切に。そうすることで、その時その時に巡ってくる縁を掴んで進めると思うから。

 

自分の根っこをしっかりと張ったところに、今、この足元をしっかり踏みしめて。ずっしりとした根っこで、柳のようにしなやかな、柔らかい姿で。

気張らずにいきましょー◎

 

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