9.11

2001.9.11 から15年の月日が流れました。

当時小学生だった私ですが、テレビに映るもくもくと煙をあげるビル、崩れゆくビルの上から飛び降りる人々、今でもはっきりと覚えています。なにかとんでもないことが起きてしまったんだと、子どもながらにハッとしました。

その後のアフガニスタン紛争。国家、宗教、組織、利害、歴史…様々なものが絡まり合って“戦争”が始まるんだ、と大きな戦争の始まりをリアルタイムに経験して感じました。恐らく私が子どもながらに今自分が生きる世界においての、戦争や平和について考え始めたのは9.11が大きなきっかけ。

高校生になって訪れたニューヨーク。タイムズスクエアブロードウェー、セントラルパーク…エネルギーに溢れていて、キラキラしていて、とにかくわくわくがいっぱい。そんな街に広がる大きな穴がグラウンドゼロ。あぁこれがアメリカなんだ、今の世界なんだ、と突き付けられて涙が溢れ出ました。

 

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現在も紛争やテロの危機が絶えない場所は沢山ある。そんな場所とは対照的に、今の日本は「平和」。でもその「平和」、「豊かさ」は誰が守ってくれているのだろう。汚いもの、危ないもの、不都合なものは第三世界の見えない所へ追いやって、目下は綺麗に、安全に、都合よく守っている、そんな大きな歪んだ構造の中に生きているような気がしてならない。

 

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「当たり前に平和」な国に住む私たちは、紛争やテロは遠い国のできごとのように感じてしまう。確かにモノ、情報、ヒトの行き来が激しい今の世界で、どこがどう繋がって自分の生活が、世界が形づくられていくのか、ボーっとしていたら見逃してしまう。でも確かに私たちは世界のどこかと、誰かと、何かと繋がっている。

こんな平和ボケした日本に住んでいるからこそ、遠い国のできごとと、自分の生活がどう繋がっているのか、考えても分からないかもしれないけれど、それでもなんでも、とりあえず自分ごととして考えてみること、知ろうとすることが大事なんだと改めて感じた今年の9.11でした。 

 

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せかいはもっとひろい

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夏休みの終わり。学校に、仕事に行きたくない、行けないかも…

行かなくたっていい、行けなくたっていい。行かないのも立派な選択肢。逃げ足が速いことも大切なスキルだと思う。

しなきゃいけないことなんて、本当は何もない。こうでなきゃいけないことなんて何もない。何かが上手くいかなくたって大丈夫、それでいい。ただ生きてさえいればいい。

世界は自分が思っているよりも、もーっともーーっとひろい。自分が自分のままで、楽しく安心して過ごせる場所はきっとある。世界は学校や仕事だけじゃない。

世界は広い、知らない世界がいーっぱいある。まだ見ぬわくわく、どきどきが沢山ある。わくわくするものも、どこかに転がっているから。それをゆっくりゆっくり、自分のペースでみつけていくのは、きっと楽しいと思う◎

 

私たちはこの世を見るために、聞くために生まれてきた 
この世はただそれだけを望んでいた。
だとすれば、何かになれなくても私たちには生きる意味があるのよ。

映画「あん」

 

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頼ることは信頼しているということ

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とても今更ですがワンピースを読み始めました。すっかりハマりました。笑 麦わらの一味なんてかっこいいんだぁ!!!

 

私は頼られるととっても嬉しいなと感じます。単純にその人が笑顔になってくれると嬉しいから。でもそんな自分は、昔は人に頼るのが下手くそで、何でもひとりで頑張っちゃっていました。器用貧乏だったので、なんとなくひとりでもどうにかなっていて、スーパーポジティブだったので嫌な事もすぐ忘れていたし。でも、それも通用しなくなった時、頼ることが上手くできないとしんどかったんですよね。

 

でも頼ることはお互いさまなことで、頑張らなくてもいいよ、甘えていいんだよという場所に身をおいてから、少しづつ頼ることができるようになってきました。

 

私は頼るということは信頼していることだなぁと思っています。漢字の通りか。笑 だから、あなたを信頼しています、あなたは私の大切な人ですという“しるし”として何かを託したり、相談したり、教えてもらったり、愚痴を聴いてもらったり。その人を全力で頼ろうと思っています。

 

ひとりで強くあろうとすることは自分の弱さやを受け止められずに、ひとりでジタバタしているのかもしれません。私はそうだったなぁと思います。でも弱くたっていいと思う。その代わり、だめになっちゃった時に、本当に信頼できる人と関係を大切に育もうと思うんです。色んなところに頼れる場所があること、ひとつの場所を失ったとしても、他のところを頼って、甘えられるのが強いってことかもなぁって感じます。その代わり、その頼りにしている人が自分を頼りにしてくれる時は、精一杯お返しをしようと思います。

頼り、頼られる、お互いさま◎それでいいのだと思います。

 

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ことばで表現できること

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赤ちゃんはことばで表現できないから、泣いたりぐずったりして、不快、空腹など感情を表現する。大きくなると、感情が言葉で表現できるようになってきてイヤイヤ期に突入、徐々に“社会性”を身に着けていき、TPOによっての振る舞い方を学んでいく。子どもは選ぶことばは上手くないかもしれないけれど、大人よりずーーっと感情に素直なんじゃないかなあ。でも“社会性”を身に着けた大人になると、できなくなってしまう。TPOによってはそんなに素直にはいられない。いつの間にか負の感情を飲み込んでしまっていることも。大人ってのは理不尽なことを我慢するもんだよ!忍耐だよ!そんなことばも耳にします。

大人は赤ちゃんと違って自分が感じていることを十分に言葉や態度に表せる。人間らしく言葉にして表現できる。そうすることによってある程度それを抑えることができる。

「面倒だから、しよう」渡辺和子

 これを読んだとき、大人になるってことは我慢するすることじゃないんだ!って。我慢することは、ネガティブな感情を表現することをさぼって、問題から逃げているだけかも。だってネガティブな感情って面倒くさいし、考えるのしんどいもん。

かくいう私も、感情表現が下手くそです。納得出来ないことがあった時、目上の人、立場が離れた人に、嫌なことは嫌だと主張できるタイプだけれど、逆に身近な相手、友達なんかになるとそれができない。妙な距離感をとってしまったり、少しふてくされてしまったり。面倒くさい。笑 

 

確かに我慢から、見た目上の穏やかさは生まれるかもしれない。けれど、自分の心の中は穏やかとは程遠いんですよね。最近は感情表情態度ことばを一致させようプロジェクトをやってみています。嫌だなと思ったらできるだけことばでその感情を表して相手に伝える。大人だから、もちろん場はわきまえなければいけないけれど、時には全身で笑い、泣き、落ち込み、自分の心の声に素直に。

 

小さいころから喧嘩をしたことがあまりありません。一人っ子だったことも関係するかも。だからなのか、喧嘩にはひそかな憧れがあります。笑 それがどんなに子どもじみた原因であろうと、心のうちをしっかりぶつけ合ったということだから。だから私と喧嘩した数少ない友人達、大切にしていきたいなあと思います◎もっと喧嘩しよーっと。笑 

ことばに限界はあると思う。ことばで表現できないこともある、他の手段の方が伝わるかもしれない、でもそれでもその感情をひもといて、伝えることをサボってはいけないなあ。

 

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ミニマリストなはなし

ミニマリストです!と言える程ものが少ない訳ではないのですが、ミニマリストな考え方を知ってから、持たない暮らしにシフトしつつあります。

今年の冬、体調を崩して実家に戻りしばらくたった頃。会社を辞めて東京から実家のある福岡に戻るか悩んでいた時期がありました。辞めたくはないけれど、この体調で一人暮らしには自信がない。そもそも休職期間を延長することが可能か、会社側の判断待ちの状態でした。(その後休職を延長し、復職予定です)

会社をクビになるかもしれない危機をまさか社会人になって間もなくに経験するとは思ってもいませんでした。この時、 住んでいたアパートは解約しておらず、荷物がある状態。万全ではない体調での引っ越しはしんどい。めんどくさいい、身体がついていかないよぉ。こーんな心の状態でした↓

 

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そう思っていた時にテレビで「わたしのウチには、なんにもない。」を見ました。なにこれ、引っ越し楽そう!!そこからミニマリストブログを読み漁り、少しづつ実家の持ち物から断捨離を始め、アパートを引き払う際には沢山のものを手放しました。以前「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」を読んだ時はいまいちピンとこなかったミニマリストな考え方。その時は私もの多くないしなーと思っていたけれど違ったんですね。ものは少なくても、ノイズになるものはあって、それが心理的には負担になっていたことに気が付かされました。いつでも会社を辞められる状態にしたい、いつでも引っ越しできる位に持ち物を少なくしたい。今の私にはしっくりきたミニマリストな考え方、よき折に出会えてよかったです。

●ものを減らして私が感じた変化

・生活、暮らしを大切にするようになった

・ほしいものではなく、今あるものに目が行くようになった

・身体、自分自身について考える機会が増えた

・ものを管理するエネルギーが減った

・目の前、今を大切にするようになった

 ・人と自分を比べることが少なくなった

・フットワークが軽くなった

大切なものを大切にするためにミニマムにするのだなぁと思う今日この頃。

 

お金や立場で出来ることは限られるかもしれない。けれど、その中で最大限、自由に生きていきたい!国内外いろんな土地に行きたい、住みたい!預金額が増えることだけを楽しみに、我慢して、大切な自分の時間を切り売りするような働き方はしたくない。職場も雇用形態も、お給料も自分の身体の体調やその時の状況に合わせて身軽に変えられるように、生活スタイルはできるだけシンプルに、ミニマムに◎やりたいことに向けてすぐ動けるように、チャンスが来たらすぐに掴めるように、目の前、今を大切に。

仕事、家、お金、なーんにもなくなったとしても、社会のシステム、組織に依存せずに出来るだけ自立して生きていけるようになりたい。楽しみ、幸せを日々の生活の中に見出していける人でありたい。 大きな地震原発事故が起きて、一瞬にしてすべてがなくなるような出来事も、決して他人事ではなくなったのだと思います。

 

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自分が本当に好きなもの、大切なものとの関係をいつくしんで育てていく。

そんな暮らしができるように、自分の心、身の回りを整えていきたいです。

スマホを置いて旅行してみました

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※私の相棒ガラケー。ネットは使えないので、ほぼ出番なし。緊急連絡先としての安心感をありがとう。

 

普段iPhoneガラケーの2台持ちをしています。と言ってもiPhoneで電話とキャリアメールをしていたところがガラケーになったというだけで、Wi-fiがある場所ではiPhoneを使っています。外でLINEなどでの連絡ができないということのみ不便な点かなといった感じです。

そんな感じでそんなにスマホ中毒という訳でもないのですが、最近デジタルデトックスに心惹かれていること、スマホなしで旅行してみたらどうなるかな?という単純な好奇心からやってみました。

いざ一泊二日、鹿児島へ!

✔ 人とのかかわりが生まれる

ガイドブックも、下調べもなしで行ったため、到着してすぐに観光案内所へ。目的地への行き方をお姉さんに尋ねたところ、心なしかお姉さん不機嫌でした。自分で調べろよって思われたのかな。笑 その後も案内所でもらった路線図と地図を片手に、人に尋ねたりしたら全然どうにかなりました。でも東京だと乗り換えアプリないと厳しいかなー。

 

✔ 思わぬ出会いがある

友人にすすめられたお店を記憶を頼りに探したのですが、みつけられませんでした。残念。こんな時すぐに検索できるスマホってほんとにすごいですね。でもふらっと入った喫茶店がとてもすてきで!長い時間居座ってしまいました。

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✔ 目の前、いまを感じられる

乗り物に乗る時、道を歩く時、スマホで音楽を聴くことが多いので、今回は音楽がなかったことが少し寂しかったり。でも、目の前と自分を隔てるものがないから、南国の風、海の匂い、ローカルバスのおもしろアナウンスや、鹿児島弁のおばあちゃん達のおしゃべり、その地にいるからこそ触れられるものに五感をひらけた気がします。

 

✔ 自分の能力の帰還

普段乗り換えアプリで調べるところを路線図や地図を使って、自分の頭で考えて動いているとき、眠っていた私の能力が帰ってきたー!って感じがしました。笑 スマホはたーーーくさんの役割をしてくれて本当に便利なものだけれど、いつの間にか自分で出来ることもやって貰っちゃってるんだなあと思いました。できることはね、私は自分の力を使ってやりたい。その力をしっかり保っておきたいと思いました。

 

スマホなしの旅で、もともと行き当たりばったりな旅のスタイルがさらに加速しました。笑 不便さ、制限をあえて受け入れるのも楽しかったです◎生活の中にデジタルデトックスどうやって取り入れていけるか、程よい距離でデジタルなものと付き合う方法を探していきたいです。

 

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心をひらく

この間ばったり知り合いに会いました。私が生まれたころから家族ぐるみでお付き合いしているおばちゃん。私をいつも見守ってくれて、折々にすてきな本やことばの贈り物をしてくれた人。

受け入れてもらえるだろうか、変なふうに思われないかな、そんなふうに心配してしまって、しばらく会っていない人に近況を話すことが出来ていませんでした。会社を休んでいること、ばったり会った時に話すにしては手頃なトピックではないかなぁなんて思ったけれど、おばちゃんには話せる気がしたし、話したかった。

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●あら元気ー?帰省してるのー?お仕事どう?

◎実は体調崩しちゃって実家でお休みしてるんです。

●あら、そうなのね。疲れてる時は自然にいっぱい触れてゆーーっくりするのよ。

◎そうですね、ありがとうございます!おばちゃんは元気でしたか?

●実はね、おばちゃん病気になっちゃったのよ。あとどれ位元気でいられるか分からないのよ。今度手術するの。家族以外に言ってなかったんだけどね、あなたが心をひらいてくれたから、おばちゃんもひらこうと思ったの。

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じわっとあたたかい、やさしい空間がそこに生まれたような気がしました。涙がこぼれそうでした。ほんの3分くらいの会話だったけれど、そこには壁もなにもなくて、自分の発したことばがそのままスーっと相手の心に落ちていったように感じられて、とても心地のよいものでした。受け入れられないんじゃないかなんて、自分が傷つくことを心配していた自分がバカらしくなるくらいに。なにより私が心をひらいたことで、相手も心をひらいてくれたことが本当に嬉しかった。心を通わせるってこういうことなんじゃないかなって思った。

 

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こんなの話して引かれないかな、KYじゃないかな、そんな心配や気遣いは、自分が傷つくかもしれない恐れからくるものなのかぁとかとか考えています。そうやって気を遣って話さないことは自分が傷つかない予防線を張っているだけで、実は話さない方が自意識過剰なのかもしれないって。相手からひらいてくれるとは限らないし、相手がひらいてくれるのを待つのは意地っ張りのような気がするのだ。心を通わせたいのならば、自分から心をひらく。そんなふうに考えるようになって、心が少しでも話したいと言っているのなら、その気持ちに素直に話しちゃえ!って少し心が軽くなりました。

 

でもでもやっぱり、心をひらくって恐いことだってある。受け入れられないこともあるかもしれないし、傷つくこともあるだろう。けれど言った後には、どんな反応が返ってこようとも、勇気を出して自分の心に素直になった前よりも少し堂々とした自分が残るように思う。今ひらく勇気がないのなら、またいつかひらけると感じた時に。

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多分、あのあたたかい空間も私が心をひらいていなければ、生まれ得なかった。おばちゃんの心の内に触れられてよかった。話してよかったと心から思います。