大切なものを守るために

わたしにはこれからやってみたいことが沢山ある。自分がその時々に持っているものを精いっぱい周りに配って、その中で多くの人が笑顔になるお手伝いができたらなぁと思う。

でもそのやりたいことが、たとえどんなに大きな計画だったとしても、目の前をなおざりにするのならば、それはやりたいことでも何もないなとも。夢もやりたいことも、支えがあるから成し遂げられるもので、なおざりにしていい理由はわたしには何ひとつない。

 

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もし明日すべてのものがなくなってしまうとしたら、何を守りたいと思うだろう。ここ1年位は特にそんなことをよく考えた。

わたしが人に対してなにも与えられない時も、周りの人は、自分の持っているものを惜しみなく与えてくれる。相手にとっては日常の一コマに過ぎないかもしれない。けれど、わたしにとっては1日1日を紡いでいくためのひとつひとつの大切な一コマ。どんなにぺしゃんこになった時も、家族、友達さえいてくれたら大丈夫だなと思った。家族も友達もいなくなってしまった時のことは怖すぎて想像もできないけれど。 

 

居場所って場所じゃなくて、人なんだなと思う。その人と一緒にいれば……まったく知らない土地にいたとしても、そこはもう居場所になる。顔が見えなくても、繋がっているその空間が居場所になる。決まった場所をもたなくとも、集えばもうそこが居場所になる。

おばちゃんたちが井戸端で集まっておしゃべりを楽しむように◎

 

わたしは大切な人がいつでも帰ってくることができる居場所になりたい。大切な人がもしぺしゃんこになってしまったら、いつでもおかえり~と迎える人でありたい。くだらないことで笑ったり、答えのない話をぐだぐだしたり、おいしい食べ物を分け合ったり、きれいな風景を見たり。そんなふうに過ごせる居場所を大切につくっていきたいと思う。これがわたしが守りたいもの。


じゃあそのために、わたしは何ができるだろう。
わたしはスーパーウーマンじゃないし、そんなに大きな馬力も持ち合わせていないから、ぜんぶ全力で走り切るのは難しい。そんなに沢山のことは守り切れない。

だからこそ、いざという時に素早く動けるように生活も身体も仕事もできるだけ身軽に、シンプルに整える。何よりわたし自身がきちんと自分の足で立って、しなやかに、ゆとりを持って。 

 

これはきっと時がたっても変わらずに根底にありつづけるんだろうな。とっても単純だけれど、とっても大事なこと。気が付かせてくれる機会があったことにただただ感謝。

 

さまざまな立場からひとりひとり、大切なもの守れるようにどんなことを大事にしているんだろう。

 

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