色んな顔、凸凹した自分
かつての私は、本当の自分、理想の自分みたいなものが一個だけいる、そんな感覚を持っていたような気がします。
一個の一貫した自分でいなくちゃいけないような感覚。だから、その枠から自分から外れちゃった時に、これ違うぞって焦ったりしました。
色んな違った立場の人と関わったり、色んな環境に身を置くのだから、友達の前でのへなちょこな自分とか、家族の前での甘え切った自分とか、上司の前でのペコペコした自分とか。色んな顔にコロコロ変わる自分がいて当たり前なのに。
理想の一個の自分がいて、この自分はダメ、この自分は良しとか、こうなくちゃいけないって自分を紐でぐるぐる巻きにしてしまっていたのは、ほかでもなく自分自身だったんですよね。
ネガティブでも、不器用でも、意地っ張りでも、情けなくても、今この時の自分が自分でしかない。
矛盾だらけで、凸凹してても、それでおっけーなのかなって。
良いとか悪いとかなんにもない、今の自分を淡々と受け入れる。それは現状満足でも何でもなく、よりよく変えていくために大切な一歩だと思います。
自分の凸凹を受け入れることは、他人の凸凹も受け入れる優しさもげっとすることなんじゃないかと思うんです。自分を縛っている紐をするすると解いて、人にも優しくありたいです。
みんな凸凹で、いびつで、おもしろい◎