さよならを考える
ちょっと前にこの記事を読んでから、さよならについてよく考えています。
これまでさよならについて特に意識したことはありませんでした。
でも、そういえば小さい頃から、いつも心の何処かに、この人と会うのこれが最後だったら…という気持ちがあったなぁと気が付きました。だからと言って去り際に大袈裟な挨拶をする訳ではないんですけどね。
私は身近な家族や友達との別れをまだ経験したことがありません。だから余計、映画や本の中で、お互いにしこりを残したままの別れに触れて、いつか訪れる別れにおどろおどろしさを感じているのかもしれません。でも上京してからは、東京に戻る時、家族との別れ際はなんだか照れくさくて素っ気なくなっていました。でも新幹線に一人乗るといつも少し涙目だったんですよね。素直になればいいものを(笑)
別れには、明日までの別れ、次に会う時まで、それから永遠のそれもある。サヨナラが苦手で、なんていつまでも子どもじみたことをいってるわけにはいかない。今日と同じ明日がかならず来るとは限らないのだ。
世界の色んなところで、罪のない人の命が奪われる事件が起こっています。先日のダッカでのテロがあった時、私の小学校以来の友達は、もし私がその場にいたらと思うと、全く他人事とは思えなかったと、その時の気持ちを話してくれました。私は小さい頃、発展途上国に行く仕事に憧れていたので友達の中で、私の事とダッカのテロが重なったそうです。
そうやって自分のことを想ってくれている人が色んなところにいること、その人達との時間があることに感謝の気持ちを込めて別れ際のまたねー!を伝えようと感じました。
誰に対しても、別れ際は、自分の一番いいとっておきの笑顔で。
それが、1日だろうが30年だろうが、「今までこんなわたしにお付き合いしてくれてありがとう」の代わりになる。
いつ何時、さよならが訪れるか分からないから、一人一人との時間大切にしよう◎