みんなの上には空がある

空ばかり見上げている。

 

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気づけば撮った写真は空ばかり。小さい頃から空がすきで、小学校の自由研究ではくもの動きを調べた。なんですきなんだろうなぁということを考えるのだけれど、なんというか見守ってもらっているというか大きな力に包まれている気がするからだと最近わかった。

 

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自然の前では誰だって丸腰で、取り繕ったり、上手に演じたり、ウソは役に立たない。だからこそ、良い時も悪い時もどんな自分でも受け入れてもらえるような、見守ってもらえるような気がする、のかな?わたしにとっての神さまみたいなものは空かもしれないなぁ。

 

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都会は空が狭い気がする。ほんとはそんなはずはなくて空はみんなに平等に広がっているのだけれど。あまりにも大きいビルや家々でそんな気がしちゃうだけなんだろうな。なんて思っていたけれど、この前皇居に行ったときの空はわたしが思っていた東京のそれではなくてなんだか安心しました。

 

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陽気な引き出し

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ふと不安になったり、自信がなくなったり、考え過ぎてしまったり、だれしもそんなときがあると思います。
特にからだや心が弱っているとき、小さなできごとにもおどろくほど敏感に反応する。うれしいことも哀しいことも、心はひとつひとつの感情を嫌と言うほどにていねいに拾い上げてくれる。


そのひとつひとつにずぼっとはまればはまるほど、ジタバタしてもなかなか抜け出せなくなったり。ずぼっとはまって向き合うことも時には必要だけれど、はまっていられない時だってある。 それに深刻になる必要のないことだってきっとたくさんあって。小さな感情ばかりに足を取られてしまって目の前を味わえないのはもったいない。
ずぼっとから抜け出せなくなりそうなとき、わたしはつとめて陽気になろうとする。時には陽気になんてなれないときもあるけれど、陽気なふりも続けていればりっぱなホンモノになるから◎

 

この前、バナナを食べながら踊るポンポコリンみたいな踊りをおどっていたら、わたしアホやなぁとすべてのものがもうどうでもよくなった。笑 それで、あぁ色んなうれしい哀しいもやもやもあるけれど、これからもこんなふうに陽気に生きていけばわたしは大丈夫だなと思った。

たぶん笑っていればたいていのことはどうにかなるんだと思う◎

 

どんな時もどんな所でも、自分で自分の陽気を引き出せる愉快な大人になる! 

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かっこいい仕事

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カフェより喫茶店派なわたし。

カフェはおしゃれすぎて落ち着かない。なんだか気恥ずかしくなっちゃう。

とびらをあけて広がる異空間におじゃまする時のどきどき感。いちげんさんお断りな雰囲気を持つ店にどっきどきになりながら入れた時のちょびっと誇らしく、おとなになったような感覚もだいすき。

 

最近はもっぱら純喫茶ばかり。珈琲と煙草が混ざりあった匂いがもわもわと立ちこめる、ちょっと照明をおとした店。煙草のヤニで黄ばんだ壁、お客さんが置いていったであろう本、古びたメニュー。ところどころに店の歴史を垣間見ていとおしささえ感じる。

 

喫茶店はだいすきなのですが、珈琲は苦手で。珈琲を飲んだ後はきまってめまいがしたり、頭痛がしたりするから、いつもは紅茶やココア。

 

でも今日はじめて訪れた喫茶店ではブラックコーヒーをいただいてみた。

というのも、格式高い雰囲気の店内にはブラックコーヒーの飲み方レクチャー、メニューには

“ 当店の珈琲でブラックコーヒーが好きになったという方も。珈琲は自身の甘さをもっているからミルクや砂糖を入れなくても十分美味しい。”

との言葉。ほかにも焙煎や豆のこだわりの言葉がずらり。

ここまでこの店のこだわりに触れておいてブラックを頼まないのは邪道だなと思い、今日はブラックコーヒーに。カウンターに砂糖はおいていなくて、ミルクだけ運ばれてきた。

 

一口一口味わいながら飲んでみた。すっきりしていてすごくすごく飲みやすかった。今まで飲んだ珈琲の中でいちばん美味しかった。きちんと淹れたほんものの一杯はこんなにも美味しいんだとびっくりした。今まで飲んだ珈琲はなんだったんだろうって。

クラシックが流れる店内はとても居心地がよくて、ついついぼーっと無になってしまった。

 

お会計の時、わたしのきょどりっぷりに初来店だと察したであろうオーナーのおばちゃんにさりげなく

「お味どうでしたか?」

と尋ねられた。きっと自信があるからこそのひと言なのだろう。ウソなくきちんとつくった自信があるからのひと言なのだろう。おばちゃんかっこいいっ………!!!

あとで調べてると、その店は皇室に珈琲豆をおろしていたこともあったそう。ほんものだった◎

 

かっこいい仕事がしたい。胸をはって人に差し出せる、うそのない仕事をしよう。そう思った。

想いを言葉にすること

この間物件の内覧に行った際に、ひょんなことから大家さんと将来の話になりました。自分がこれからやってみたいことを話してみたんです。そしたら大家さんがとっても共感してくれて。一緒にいろいろ企画しようよって家賃の割引を提案してくれたり、仕事先を紹介しようとしてくれたり(!) 思わぬうれしいお声かけにつながりました。 

 

やっぱり想いって言葉にしたほうがいいことあるなんだなって。

 

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わたしの周りにはすごい人が沢山います。自分の想いに素直で、想いを形にするためにしっかり動いている人たち。いつも刺激をもらえる尊敬する人たちです。

でも、そんな友だちに囲まれてわたしは「この人みたいに深く考えてないわたしが言っちゃっていいのかな」「声を大にして言えるほど形になってないし、行動も足りてないし…」そんなふうに思ってちぢこまってしまうことがあります。

 

でも久しぶりに想いを言葉にするきっかけをもらって。やっぱり想いは言葉にするべきものだ、そう感じました。

深く考えられていないから、形になっていないから、行動が足りてないから、なんてささやかなプライドを語っているうちは、結局動かない言い訳をしているだけで。

想いはポンっと形になるものではなくて、少しずつ形づくっていくものだから。初めの一歩は想いを言葉にすること。

言葉にしたものが誰かの心をくすぐって、一緒に歩む仲間になってもらえるのならばそんな嬉しいことはない。自分の想いが誰かの想いになり、ふくらんでいくことが想いを形にする近道なのだろうな、そういうふうに感じました。

 

わたしにはまだまだなんて言っていないで、小さな想いから言葉にしていこう。そして想いを言葉としてひとに伝える術を磨いていきたいそう感じたできごとでした◎

 

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大切なものを守るために

わたしにはこれからやってみたいことが沢山ある。自分がその時々に持っているものを精いっぱい周りに配って、その中で多くの人が笑顔になるお手伝いができたらなぁと思う。

でもそのやりたいことが、たとえどんなに大きな計画だったとしても、目の前をなおざりにするのならば、それはやりたいことでも何もないなとも。夢もやりたいことも、支えがあるから成し遂げられるもので、なおざりにしていい理由はわたしには何ひとつない。

 

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もし明日すべてのものがなくなってしまうとしたら、何を守りたいと思うだろう。ここ1年位は特にそんなことをよく考えた。

わたしが人に対してなにも与えられない時も、周りの人は、自分の持っているものを惜しみなく与えてくれる。相手にとっては日常の一コマに過ぎないかもしれない。けれど、わたしにとっては1日1日を紡いでいくためのひとつひとつの大切な一コマ。どんなにぺしゃんこになった時も、家族、友達さえいてくれたら大丈夫だなと思った。家族も友達もいなくなってしまった時のことは怖すぎて想像もできないけれど。 

 

居場所って場所じゃなくて、人なんだなと思う。その人と一緒にいれば……まったく知らない土地にいたとしても、そこはもう居場所になる。顔が見えなくても、繋がっているその空間が居場所になる。決まった場所をもたなくとも、集えばもうそこが居場所になる。

おばちゃんたちが井戸端で集まっておしゃべりを楽しむように◎

 

わたしは大切な人がいつでも帰ってくることができる居場所になりたい。大切な人がもしぺしゃんこになってしまったら、いつでもおかえり~と迎える人でありたい。くだらないことで笑ったり、答えのない話をぐだぐだしたり、おいしい食べ物を分け合ったり、きれいな風景を見たり。そんなふうに過ごせる居場所を大切につくっていきたいと思う。これがわたしが守りたいもの。


じゃあそのために、わたしは何ができるだろう。
わたしはスーパーウーマンじゃないし、そんなに大きな馬力も持ち合わせていないから、ぜんぶ全力で走り切るのは難しい。そんなに沢山のことは守り切れない。

だからこそ、いざという時に素早く動けるように生活も身体も仕事もできるだけ身軽に、シンプルに整える。何よりわたし自身がきちんと自分の足で立って、しなやかに、ゆとりを持って。 

 

これはきっと時がたっても変わらずに根底にありつづけるんだろうな。とっても単純だけれど、とっても大事なこと。気が付かせてくれる機会があったことにただただ感謝。

 

さまざまな立場からひとりひとり、大切なもの守れるようにどんなことを大事にしているんだろう。

 

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0を1に

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会社への復職が正式に許可されました。ここ1ヶ月ほど主治医や会社との復職に向けて話し合いを重ねてきました。その間もこの選択が本当に自分にとってよいのか悶々としたり、再び大好きな地元を離れ東京で1人暮らしをすることへの恐さ、再発のリスク、会社で1からやり直すことへの不安などがぐるぐると心を駆け巡り、縛り付けていました。安定していた体調も少し右肩下がりになっていました。

 

そして、面談に訪れた久しぶりの会社。前の日は緊張でほとんど眠れず、正直逃げ出したくなっていました。会社への道のりも呼吸が浅くなって、心がざわざわ落ち着きませんでした。
でも一旦上司に会うと、ここまで来れた安堵感に包まれて泣き出してしまいそうでした。

面談に行くだけなのにこんなにも不安になるのか、こんなんで復職できるのか?と、面談後は落ち込んでしまって、復職するという自分の選択にさえ大きなはてなマークが浮かびました。地元でコツコツとやっていく方が賢明な選択なんじゃないかなと弱気になってしまいました。


でも、不安なのは当たり前。どんな人でも初めての、久しぶりのことは恐いものだし、社会人しょっぱなからハデに転んでしまったわたしはなおさら。不安になるのは当たり前。なんの蓄積も、語れることもなければ、なんなら新入社員よりマイナスからのスタート。前に進む自信なんてすこしもない。
友達の、仕事の話、前に進んでいる話を耳にすると、今でも抑えきれない焦燥感が湧き上がってきます。不安で、心細さでいっぱいにいっぱいになります。自分でも驚くほどひとつひとつの出来事に対して敏感に反応してしまいます。

でも、自信はじっとしていてもできるものじゃない。ひとつひとつ小さな積み重ねでしかできていかない。どこから降ってくるものじゃないし、自分でつくっていくしかない。
少しずつ覚悟ができつつあります。恐くても、不安でも、とりあえず進むのみ。大丈夫だと信じて、わたしを信じてくれた人たちのために、自分のために、自分の歩んできた道を信じて進む強さを持とう。

 

不安を拭おうとはしない、不安を認めて、ぎゅっと抱きしめて、ただただ一歩を踏み出すのみ。

もしかしたらまた転んでしまうかもしれない。でもその時はまた休んで、また立ち上がる。その繰り返し。それだけの話◎

今日はただの日記でした。

なんだか上手くいかないなぁって方、一緒に少しずつ、0を1に。一歩一歩ゆっくり進んでいきましょうね。
今日もおつかれさまでした^^

 

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理想の自分って

理想の自分ってどんな自分だろう。人それぞれいろいろあるんだろな。

じゃあもし今の自分がその、理想の自分じゃなかったら、それは自分ではないのか。そんなことはない。どんな自分も自分。何かがなくても、何かがあっても、何もなくても、自分は自分。

 

でも今の自分が理想の自分とは程遠くて、情けなくて、不甲斐なくて、悔しくて悲しい時、そんな自分を認めるのは難しい。本当の自分はこんなんじゃないんだ!こんなはずじゃないんだ!って。

 

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そんな時こそ、愛想をつかしたくなるような自分も受け入れる強さを持ちたい。どんなに情けなくて、弱っちくて、こんなの自分じゃないって言いたくなるどうしようもない自分も見捨てない。

 

でも、人ってそんなに素直じゃないから、そのままの自分を受け入れるってことがなかなか難しかったりする。だから、“どうせ自分はこんなもん”って拗ねちゃったり。どうせ自分は性格悪いもん、強くないもん、できないもんって。ヤな自分を真正面から見なくていいから、ある意味楽かもしれないけれど自分のことは見捨てちゃってる。

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そのままサイズの自分を受け入れる。大きく見せようと、自分を飾り立てたり、虚勢をはったりしなくていい。小さく見せようと、悲劇のヒロインになったり、卑下したりしなくていい。

 

拗ねちゃって心の扉を閉めて、うちに籠ってしまわないこと。自分のことを歪めると、世界も歪んで見えるから。
そうして拗ねてしまうと、周りがどんなに優しさ、愛情を差し出してくれようと、受け取ることができなくなってしまう。
そして、自分がすでに持っているたくさんの魅力も霞んで見えなくしてしまう。

 

今の自分が自分でしかない。どんな自分もまるっと受け入れてあげよう。その勇気と覚悟を持てた時、今持っている自分の魅力がさらに輝きを放ち出すはず。

 

ずっと探していた理想の自分ってもうちょっとカッコよかったけれど
ぼくが歩いてきた日々の道のりを ほんとは“ジブン”っていうらしい

Progress スガシカオ 

 

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